「首里城へのうむいメッセージ」
ジョニー宜野湾

あの日僕は4:00頃に目が覚めて、いつものようにラジオ体操をするために玄関へと出た。

眠い目を擦りながら腕を振り右側へ腕をまわしたその時、遠くに見える首里方面の赤い空。

火事だとすぐに気づいたのだが、あまりの燃え方に何か胸騒ぎがしてすぐにネットを開いてみた。

そして愕然とした。

首里城火災。

この事実をどう捉えていいのかわからずチルダイしたが、自分がこんなにも首里城が焼失した事で落ち込んだ事に驚いた。

肉親を亡くした時のような感情にも似ていた。

こんな事を言うと怒られるかもしれないが、僕にとって、首里城のあった場所は琉球大学があった場所であり、当時組んでたバンドの練習場として青春時代を過ごした場所であった。

そう言う事もあり、首里城が再建された時、新しい観光施設、アミューズメントパーク的な捉え方でしかなかった。

皮肉な事にそれが焼失した事で初めて心の拠り所であった事を痛感したのである。

焼失後は近くを通ることもためらわれたが、

コロナ禍の中、落ち込んだ気持ちを紛らわすために首里城に行ってみた。

瓦礫の山を見た時、さらに落ち込んだらどうしようと思いながら入ったが、不思議な事にそこには負の感情は微塵もなく、再建へのエネルギーに満ち溢れた場所になっていた。

工事中の現場を横目に見ながら、正殿跡にたどり着いた頃、ふと頭の中であるメロディーとフレーズが鳴り出した。

県民なら誰でも知っているあの歌。

「ヒヤ ヒヤ ヒヤヒヤヒヤ!ヒヤミカチ起きれ〜ヒヤミカチ起きれ〜」

ご存知「ヒヤミカチ節」である。

何度も焼失と再建を繰り返してきた首里城。

私達に今、語りかけているような気がする。

ヒヤミカチ起きれ〜!

また立ち上がるんだ!ってね。